人間不信、不安症、パニックでも安心できて大切にされる心の方程式

生きにくい人生から愛されて好きなことして生きる人生へ。90日で本当の問題を解決するライフダイビングカウンセラー谷美智子

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プロフィール

   

私は小さな町工場を経営する
両親から生まれました。

3姉妹の一番末娘として育ちました。

小さい頃から内気で、
あまり、よくしゃべったな、という
記憶がありません。

そのためか、
アゴが発達せず、
一回り小さく歯並びが悪いです。

また、緊張すると、
頭に言葉が思いつかなくなって、
話すことすらままならなくなるという、
若干吃音のような状態にもなってしまいます。

小学生の頃は、
先生に怒られているときに、
なにも話せなくなってしまったり、
することもしばしば。

感情や言葉がワンテンポ遅れて
やってくるので、

何か言われて怒りが湧いてくるまでに、
数秒から数分かかっているので、
口げんかもほとんどありませんでした。

あとで悔しくて泣き寝入りしてしまう
というパターンがほとんどです。

母親の口調が命令口調や指示語で
なんだかいつも怒られているんじゃないか?
という、感覚でした。

また、母親は人前で、

「この子はあかんたれなのよー」

などと言われ、
腹ただしく感じつつも、
それが当たり前だと思っていました。

小学校高学年になると、
ただでさえ話さない性格なのに、
さらに話さない子供になりました。

さすがにこのままいくと
爆発寸前の危険な子なのですが、

話さない分、
漫画を描くことや、
音楽に打ち込むようになりました。

小学校。中学校、高校、専門学校と、
ほとんどマンガ家になるつもりで、
ひたすらマンガを描いていたように思います。

気が弱くて、臆病で、強がりで、
基本引きこもりで、
人の顔色をうかがう性格なのに、

目立ったイジメに遭わなかったのは
奇跡的だったと思います。

たぶん、絵がかけるという特技があったので、
人にプレゼントするなりして、
クラスメイトからも喜ばれていた
部分は大きいと思います。

また、自分にとって
好きなこと、楽しいことをやり続けていたので、
自己評価の低くても
ごまかせていたのかもしれません。

当時は携帯もパソコンも
一般的には普及していない時代で、

漫画家になろうと思ったら、
東京に行って作品を出版社に持ち込み、
アルバイトやアシスタントなどをしながら、
下積みをするんだ!というイメージでした。

ので、売れっ子になるためには
まず東京に行かなくてはならないものだと
思っていました。。

なので、大阪に住んでいる私は、
ある程度お金を貯めて、
東京に行くつもりでいました。

反面、
実力のある作品を見るたびに
自分には実現不能なのではないか?

という劣等感で、次第に
思うように描けなくなっていきました。

就職も選り好みしすぎて、
就職にも失敗して、
結局は両親の町工場で
働くことになりました。

タオルのプリント工場で、
一枚づつタオルを機械に張る、
一枚づつ機械から剥がして、乾燥機へ、
乾燥機から出てきたタオルをたたむ。

基本その繰り返し作業です。

毎日が単調な同じ作業の繰り返しで、
とても退屈な作業でした。

毎日帰ったら疲労がたまって、
次第に絵を描く頻度も減っていきました。

そんなぼんやりした日常から一転して
闇のどん底に落ちるような
人生の転機が訪れました。

私が21歳の頃、
祖母が風呂場で心不全を起こし亡くなったのです。

その日は私も自宅に居て、
家に居るのは祖母と私の2人だけでした。

祖母はいつも食事を終えて、
夕方6時くらいにお風呂に行きます。

そして、いつも30分もすれば
お風呂から上がってきて
そのまま自分の部屋で就寝するという
生活スタイルでした。

しかし、その日は違っていて、
7時になっても7時30分担っても
祖母は出てきませんでした。

私はリビングでテレビを見ていて、
頭の中では
祖母を助けなければならないと思いながらも、
ただテレビを見て
固まっていることしかできませんでした。

結局、母が仕事から帰ってきて、
異変に気付き、
大騒ぎとなりました。

この時、正直ホッとしてしまいましたし、
家族もこのことを責めたりはしませんでした。

しかし、この出来事は、
自分の中で大きな罪となって、
「死んでも言えないな。」
と、普段の記憶の中からも
消そうとしていました。

祖母の死からわずか2ヶ月後、
父の不治の病が発覚しました。

再生不良性貧血といって、
骨髄の血液の生産が少なくなるという病です。

血液の生産量が少ないということは、
感染症にもかかりやすくなり、
怪我をしても血が止まりにくく、
打ち身が1ヶ月くらい治りません。

唯一の治療法は、骨髄移植ですが、
適合者が居ても
若くないと骨髄移植は受けられないし、
1万人に一人という発症率で、
これといった薬もありません。

父が即入院となり、
母も付き添うことが多かったため、
工場では、従業員の人と、私だけとなり、

電話での受け答えは
わからないことだらけで
頭の中が真っ白になりました。

電話が鳴るだけで
ドキッとするようになりました。

父の容態が悪くなりつつある中、
町工場の事業の借金が、
一億円以上あることを知りました。

借金があるということは知っていましたが、
想像を超える金額に愕然としました。

父は工場を大きくしようとして、
元々ある返済も十分でないまま、
機械や、土地の購入、工場の建て直しなど、
設備に投資ばかりしていたのです。

たぶん土地や設備にお金をかけ過ぎて、
どんどん膨れ上がる借金の
潜在的な重圧に耐えきれなくなって、
病気を発症したのではないかと今では思います。

私自身は、借金額と工場の経営、
父が居なくなることに対する恐怖と不安で
いっぱいになり、

父が危篤状態になっても、
声をかけられなかったし、

父が亡くなったときも、
不安感の方が強くて、
涙も出ませんでした。

祖母の死からわずか4か月で、
父は亡くなりました。

父が亡くなった後は、
工場の借金の返済を、
母と二人でやっていくことになり、

とにかく必死で働いていたような
気がします。

重圧とストレスで、慢性胃腸炎や、
うつ病、パニック障害を発症しました。

特にパニックの症状がつらいので、
外に出ることが困難になりつつありました。

交際相手と結婚するも、
相手に
言いたいことが言えないまま、
過ごしてきたので、

相手の怒りを助長させました。

事業については親戚からも
お金を借りていたので、
誠実な対応ができず、
罵声を浴びせられました。

父の建てた家を売却し、
鉄骨とコンクリートの工場の中で、
給湯、トイレは共用、
とても不便な中で5年間暮らしました。

なんだかよくわからないけど、
辛い状況の中で、

「このままだったら私はダメなんじゃないか」

「このままの人生はもう絶対に嫌だ」

と、強く思うようになり、
本を手にするようになりました。

最初に手にしたものが、

「マーフィーの成功法則」の
CDブックでした。

当時は、字も読むのが辛かったので、
CDを聴くことで、
随分気持ちが明るくなりました。

それから本当に、
心理学、自己啓発、ビジネス、宗教哲学など、
本を読むようになりました。

本に書いてあることを実践することで、
周囲の人間関係も
良くなってきました。

本を読んでいなければ、
恨み合っているかもしれない人間関係も、
和解することができました。

この時、先人の知恵というか、
他人の知恵は、
本当にスゴイ、と思ったのを
覚えています。

ただ、自分が本当の意味で、
満たされているわけではないので、
やはり表面的なものでした。

それに本を読んでいるだけでは、
気分はすぐに下がっていきました。

本や音声だけでは、
足りないと思い、
セミナーに行くようになりました。

コミュニケーションや、
目標達成のためのもの、
オンラインビジネススクール、

体験を通して色々なワークがあるので、
楽しいし、気分が上がって、
人とのつながりを持てました。

そういったセミナーも、
気分が上がるのは、
やはり、そのときだけのようで、

やればやるほど
疲れが溜まっていきました。

理想の自分と、現実の自分のギャップが
どんどん開いていき、
理想からはかけ離れた自分に対して、
嫌悪感を募らせました。

この頃は、山の上の向こうに
幸せがあるのだと
勘違いしていたのだと思います。

そんな中、
カウンセリングを学ぶ機会があり、

私はとても興味を持ちました。

ここで一番学んだことは、

「どんなグダグダでダメな自分でも、
愛されているし、認められてる」

ということでした。

これまで
自分は「足りない」と思って
やってきたことそのものが、

自分を辛くさせているということに
気づいていったのです。

「今」が幸せだということに、
気づくだけで、
とても楽になったのです。

カウンセリングを学ぶ前は、
体は鉛のように重く、
必要な睡眠時間は10時間以上。

寝起きは苦痛で、低血圧で気分は最悪。

休日となれば、
ほとんど眠っているような状態でした。

今では、多少、疲れの波はありますが、

6時間~8時間の睡眠時間でも
不足している感じはあまりありません。

しかも、
毎日何をしようかと楽しみで、
朝起きることが苦ではなくなりました。

だから、
カウンセラーとして、
生きていこうと思ったのです。

今では、ありがたいことに、
大好きな友人と
大好きなクライアントさんと、
共に成長しながら過ごしています。

心の問題を解決せずに、
スキルや、テクニックだけでは、
なかなかうまくいかない。

自分が満たされないことには、
人生がうまく回らないんじゃないかと
思うようになりました。

今の日本は、
世界レベルで見ても、
かなり豊かな国です。

なのに、自殺する方が、
毎年3万人近くいらっしゃいます。

周囲を見渡してみても、
ため息をつきながら、
本当に好きなことも解らなく
なってしまっている人が、

本当に多いです。

うつ状態に陥ってしまってからでは、
メンタル面では
かなり時間がかかってしまいます。

日常の生活の中では、
誰にでもうつ病のリスクがあって、
それを防止していく必要が
あるのかな、と今では思っています。

突き詰めていけば、

「嫌なことをやめる」
「好きなことをする」という

本当にシンプルな生き方なのですが、
それすら見えなくなっている方に、

その方法をお伝えしていきたいと
思うのです。

今、あなたは、もしかしたら、

「好きに生きるなんて、そんなこと、無理」

とお考えなのかもしれません。

私もそんな生き方は
無理だと思っていましたから。

だからこそ、
このブログで

「今の自分でもいいんだ」ってことを、
お伝えしていきたいと思っています。

あなたにも、
素敵な人生を送っていただきたい。

そして、それは
「私にも出来るんじゃないかな?」と、

少しでも感じていただけるような、
ブログにしていきたいと思います。

もちろん、
ブログに対する感想や意見も、
取り入れながらやっていきますので、

そういった面でも協力いただきながら、
あなたと一緒に進んでいけたら嬉しいです。

それでは、長々とここまでお読みくださり
本当にありがとうございます。

どうぞ、これからもよろしくお願いします。

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